三重県の実は…明治期に日本の礎を築いた偉人を輩出していた

2018.10.5

おでかけ情報はおまかせ 内山真紀

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平成30年は、明治元年から150年の節目にあたる年。鎖国が解かれ、文明開化を果たした明治期は、日本の大転換期でした。そんな歴史が大きく変わった時代に活躍し、現代日本の礎を築いた偉人が、実はここ三重の地にいたことをご存じですか? おでかけ大好きライター・内山真紀がゆかりの地を巡り、彼らの偉業や人となりをご紹介します。

★平成30年度三重県の「明治150年」関連施策
三重県では、明治期の三重県にゆかりのある偉人の功績や想い、当時の歴史や文化などを多くの方に知っていただき現代に活かしていくため、「明治150年」関連施策について取り組んでいきます。
http://www.pref.mie.lg.jp/SENSOMU/HP/000207831.htm

 

探検家・作家・出版者…多彩な顔を持つ、北海道の名付け親「松浦武四郎」

まずは、北海道の名付け親として知られ、彼がいなければ今の北海道はなかった…といわれる、歴史的功労者・松浦武四郎(まつうら たけしろう)誕生の地を訪れました。以前、「つづきは三重で」で「松浦武四郎記念館」を紹介しています。
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つづきは三重で「北海道の名付け親・松阪出身の松浦武四郎は江戸時代のノマドワーカーだった。」
http://www.mie30.jp/common/3230

そこで今回は、武四郎が16歳までを過ごした生家へ。保存整備が完了し、2018年2月から一般公開されています。

松浦武四郎の写真

▲松浦武四郎/1818~1888年、三重県松阪市出身。写真提供=三重県松阪市 松浦武四郎記念館

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▲松浦家の第四子として生まれ、17歳で日本全国を巡る旅に出るまでを過ごした生家「松浦武四郎誕生地」。生家がある小野江町は、江戸時代には宿場町として栄え、旅人が休む旅籠屋(はたごや)が並んでいたのだそう

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誕生地保存会の語り部・飯田嘉之(いいだ よしゆき)さん(写真左)に、お話を聞きました。お隣は松浦武四郎記念館の館長・中野恭(なかの たかし)さん。

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◇武四郎はこの家で、どのような幼少期を過ごしたのでしょうか?
飯田さん「武四郎が生まれたのは江戸時代で、お伊勢参りが盛んに行われていた頃。自宅が伊勢街道に面していたこともあり、多くの旅人からさまざまな話を聞いていたのだと思います。好奇心が旺盛で、想像力が豊かだった武四郎は世界を自分の目で見てみたいと思っていたに違いありません」

◇好奇心や探求心に突き動かされるままに、旅を始めるんですね。
飯田さん「素晴らしいのは、ロシアが勢力拡大のために蝦夷地(えぞち、現北海道)を狙っていることを知り、その侵略から守るために、独自で蝦夷地を調査し記録に残したこと。当時は、蝦夷地についての情報がほとんどありませんでした。武四郎は、蝦夷地を調査し、その情報を広く知らせて人々の関心を得ることで、ロシアの侵略から免れることができると考えたようです。その功績が認められて明治政府から開拓判官(はんがん)に任命され、蝦夷地を『北海道』と名付けました」

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▲来客をもてなした離れ座敷の縁側の前には、北海道と名付けたことを記念して自ら立てた灯籠(とうろう)が残っています。江戸を拠点にしていた武四郎ですが、記念の灯籠をここに残すあたり、実家がよりどころであったことがうかがえます。

◇武四郎が歩いた道をつなぐと、日本地図ができるそうですね
飯田さん「日本中をくまなく歩いています。とにかく、武四郎は歩くのが速かったそうですよ。148cmという小柄な身長で、1日に60km歩いたという記録があるそうです。一説では、その早歩きを指南したのが、松阪市射和(いざわ)の豪商・竹川竹斎(たけがわ ちくさい)だったとか…」

◇それは、おもしろいですね!この後、竹斎についても取材するので、ほかにもつながりがあるかもしれません。
飯田さん「関わりがあったことは間違いないようです。そうそう、武四郎は奇石や古銭、勾玉(まがたま)の収集にも熱中するなど、収集家でもありました。欲しいものは必ず手に入れないと気が済まない性分だったらしく『武四郎には大切なものは見せられない』と、周囲を困らせてしまう一面もあったようです。そんな、強い執着心があったからこそ、6回にわたる蝦夷地調査などの偉業を成し遂げられたのかもしれません」

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▲家族が生活をしていた母屋や来客をもてなした離れ座敷など、中に入って見学することができます

2018年は生誕200年のメモリアルイヤーということもあり、地元をあげての盛り上がりも。11月11日(日)まで、三重県総合博物館で「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」展も開催しているので、そちらもぜひチェックを!
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三重県総合博物館
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/

 

勝海舟の参謀として明治維新にも深く関わった「竹川竹斎」

先ほどの飯田さんの話にも出てきた伊勢商人・竹川竹斎は、現在の松阪市射和町に住む豪商の7代目として生まれ、さまざまな事業を展開して郷土に貢献した人。そして実は、勝海舟の参謀として明治維新にも深く関わっていたという、知る人ぞ知る一面も持っていました。竹斎の子孫で、松阪市観光協会・専務理事の竹川裕久(たけがわ やすひさ)さんに、話を聞きました。

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▲竹川竹斎像。1809~1882年、三重県松阪市射和町出身

◇松阪にいた竹斎と勝海舟はどうやって出会ったのでしょうか
竹川さん「伊勢商人は、伊勢の国に拠点をおきながら、江戸や大阪、京都などにも支店を出していました。竹川家は幕府御用達の為替業を営んでいたことから、竹斎も頻繁に江戸に行っていたようです。勝海舟とは、1849年頃に江戸で人に紹介されて知り合ったといわれています。その後、数人の豪商たちと一緒に勝を経済的に支援し、思想的にも影響を与えたようですね」

◇竹斎はどのように明治維新と関わったのですか?
竹川さん「ペリー来航で慌てた幕府は、武士や学者、商人など、さまざまな人に意見を聞きました。それに応じて、竹斎は『護国論』をまとめます。国防にとどまらず開国し、貿易を行うことで国はより強く豊かになるということを、具体的な数字や表も交えて記しました。その内容に感動した勝は、竹斎に絶大なる信頼を寄せるようになり、ことあるごとに相談していたようです。勝の江戸無血開城も、竹斎の存在がなければ、なし得られなかったのではないでしょうか」

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▲勝海舟の「海防意見書」は、竹斎が書いた「護国論」を参考にしているのだそう

◇そんなにスゴイ人が、なぜあまり知られていないのでしょう
竹川さん「竹川家には『陰徳を積む』という教えがあり、竹斎は自分の手柄だと主張することはありませんでした。それは、ここ射和の地への貢献も同じです。地域を豊かにするためには、産業と教育が大切だと考え、お茶の栽培に力を入れます。茶園の開墾をはじめ製茶工場を建てたり、輸出事業も手がけました。現在でも、三重県は栽培面積や生産量で全国第3位というお茶どころです」

◇今の三重につながる働きをされたんですね
竹川さん「途絶えてしまっていた萬古焼の復活も手がけますが、明治維新の混乱でうまくいかなかったようですね。教育に関しては、私財を投じて『射和文庫』を開設し、書物を閲覧できるようにしただけでなく講義や博覧会も行っていました。博覧会では、松浦武四郎が集めていた外国のコインを展示したこともあったそうです。同じ時代を生きていましたから、何かしらのつながりがあったのでしょう」

射和文庫門

▲「射和文庫」の建物。現在は一般公開はしていませんが、外観を見学することができます

こんな話を聞けると、ますます歴史がおもしろくなりますね。ほかに、地域の豪商と資金を出し合って農業用のため池を作るなど、郷土の発展のために知識と私財を投資した竹斎。歴史上で語られることは少ないですが、彼の貢献は偉大であったことがわかりました。

射和の街並み

▲射和町や中万町(ちゅうまちょう)周辺には、今も豪商たちの立派なお屋敷が残っています。歴史の面影が残る風景を見ながらの街歩きもおすすめです

民主主義政治の確立を目指し、国民のために戦い続けた「尾崎行雄」

明治の礎を築いたもう一人の偉人が、尾崎行雄(おざき ゆきお)。「憲政の神様」「日本民主主義の父」といわれた政治家です。伊勢市にある「尾崎咢堂(がくどう)記念館」を訪ねました。咢堂とは尾崎行雄のペンネームのようなもので、地元の人たちには「咢堂さん」と呼ばれ親しまれていたそうです。

尾崎咢堂写真(小)

▲尾崎行雄。1858~1954年、神奈川県相模原出身

神奈川県生まれの咢堂がなぜ三重にゆかりがあるのか? 学芸員の西本(にしもと)さやかさんに話を聞きました。

西本さん「咢堂が三重へやってきたのは14歳の年。明治政府の役人だった父・行正(ゆきまさ)の転任に伴って移住してきました。当時、伊勢神宮の外宮近くにあった「宮崎文庫」で、英語や算数などを学びます。そこで板垣退助らが提出した『民撰議院設立建白書』を読み、雷に打たれたような衝撃を受けたのです」

◇「民撰議院設立建白書」とは何ですか?
西本さん「民撰議院とは、国民が選んだ議員による議会のこと。今では当たり前ですが、当時は選挙で議員を選出するという制度はありませんでした。国民の自由な意思で選挙が行われ、そこで選ばれた議員による議会で政治が行われるべきであると、政府への要望をまとめた書類のことです。15歳でこの建白書を読んだ咢堂は、政治家になる決心をするんです」

◇政治家を目指すきっかけとなったんですね
西本さん「16歳で上京し、福沢諭吉が創設した慶應義塾や工学寮(現・東京大学工学部)で勉学に励みます。その後、新聞記者などを経て自由民権運動にも参加。大隈重信のもとで、国会開設に向けて働きました。そんな最中、酒の席での冗談を政府の密偵に聞かれたことが保安条例にひっかかり、東京から3年間の退去命令が出されることに。そこで、民主主義の先進国であった、イギリス・アメリカへの視察旅行に出かけたのです」

_K4A5168▲たくさんの本を執筆し出版しています。国民が政治にもっと関心を持てるようにという思いが伝わってきます

◇これまでのお話だけでも、とても情熱を持った方だったことが伝わります
西本さん「1890年(当時31歳)に、念願だった第1回衆議院議員総選挙が開かれることとなり、咢堂も日本に戻って三重県から出馬。見事当選します。三重県を選んだのは、晩年を伊勢で過ごした父親の存在が大きかったようですね」

◇この初当選から63年の議員生活が始まるんですね!
西本さん「初当選をしてから、ずっと三重県から出馬し、連続25回当選しています。94歳まで衆議院議員を務めたのは、日本史上最高記録です」

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▲支援者の名簿や寄付への礼状などが残されています。多くの人たちに支えられていたことがわかります

◇どんな政治家だったのでしょう
西本さん「特徴的なのは2つの“フセン”です。一つは普通選挙の “普選”。当時の選挙権は25歳以上の男性で、高額納税者に限られていました。全人口のわずか1%ほど。これでは、平等な選挙なんて行われません。もっと広く国民の意見を反映できる選挙で衆議院議員を選び、憲法に基づいて政治を行うことを訴え続けます。これが、『憲政の神様』と呼ばれるゆえんです」

◇もう一つの“フセン”はなんですか?
西本さん「戦わずの“不戦”です。戦争をしていては世界がダメになると考え軍縮に取り組みます。しかし、日本は軍国主義の真っただ中。議会では大きな批判を受けます。少数派になりながらも、自身の信念のもと戦い続けたのです」

◇国民が主体の政治のため、世界の平和のために政治家として戦い続けたんですね
西本さん「その姿を見ていた三重の人たちは、『咢堂さんなら間違いない』と投票していたようです。私利私欲のためでなく、国民が主体となった政治を実現するために尽力する姿をしっかりと見ていたんです」

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▲館内には咢堂が詠んだたくさんの和歌が展示されています。与謝野晶子に師事し、その時々の心情を歌に残しているそうで、その数は1万首以上に上るそうです。ほかにも75歳でドクターストップがかかるまで乗馬を楽しんだり、80歳からスキーを始めるなどアクティブな一面も

政治家としてその生涯を捧げた咢堂ですが、愛妻家で家族をとても大切にした人だったそうです。周囲の人を大切にする人柄が、三重県の有権者に支持された理由のひとつなのかもしれません。

自分の利益のためでなく、郷土や日本、世界のために尽力した3人の偉人の姿に感動しました。知れば知るほどにその人柄に惹きつけられる、魅力にあふれた人たちばかり。ゆかりの地を巡り、ゆっくりとお話を聞くことで、資料だけではわからない新しい発見もありました。こんな素晴らしい偉人たちを輩出できたのは、三重の風土があってこそ!? 秋のお出かけに、日本を動かした三重の偉人ゆかりの地を訪ねてみませんか?

今回紹介した施設はコチラ

★松浦武四郎誕生地
住所:松阪市小野江町321
電話:0598-56-7711
時間:9:30~16:30
休館日:月曜(祝日の場合は翌火曜)、12/29~1/3
入場料:一般(19歳以上)100円、松浦武四郎記念館・誕生地共通入館券一般(19歳以上)350円

★尾崎咢堂記念館
住所:伊勢市川端町97-2
電話:0596-22-3198
時間:9:00~16:30
休館日:月曜(祝日の場合は翌火曜)、12/29~1/3
入館料:大人100円、小・中・高校生無料

★松阪市観光協会
住所:松阪市京町507-2
電話:0598-23-7771
※竹川竹斎に関する問い合わせは松阪市観光協会へ

★平成30年度三重県の「明治150年」関連施策
三重県では、明治期の三重県にゆかりのある偉人の功績や想い、当時の歴史や文化などを多くの方に知っていただき現代に活かしていくため、「明治150年」関連施策について取り組んでいきます。
http://www.pref.mie.lg.jp/SENSOMU/HP/000207831.htm

■関連情報
つづきは松阪市で
つづきは伊勢市で

つづきは三重で 「北海道の名付け親・松阪出身の松浦武四郎は江戸時代のノマドワーカーだった。」
http://www.mie30.jp/common/3230
つづきは三重で 「東の魯山人、西の半泥子。スーツで轆轤(ろくろ)をまわす粋人は、銀行頭取だった。」
http://www.mie30.jp/common/3601
つづきは三重で 「スタイリッシュな萬古焼。動き出した伝統産業。成功の2つの秘訣とは?」
http://www.mie30.jp/work/4571