東の魯山人、西の半泥子。スーツで轆轤(ろくろ)をまわす粋人は、銀行頭取だった。

2017.2.18

「つづきは三重で」市民記者

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【取材】yusuke.murayama

東の魯山人(ろさんじん)、西の半泥子(はんでいし)と呼ばれ、「近代陶芸の父」と評される川喜田半泥子(1878〜1963)。
彼が三重県津市にいたことをご存じだろうか。

半泥子の詳細を書く前に、まず半泥子の作品である狛犬(こまいぬ)の写真を見ていただきたい。

狛犬

右の狛犬の頭に瓦状のものがくっついている。
これは半泥子が狛犬を窯で焼いていたときに、何かの拍子に窯の中の棚板が落ちて狛犬にくっついてしまったためにできたらしい。

痛そうな狛犬

通常、狛犬は一体が「阿(あ)」の口を開けており、もう一体が「吽(うん)」の口を閉じていることが多いが、棚板のせいで右の狛犬も「吽(うん)」になってしまっている。
半泥子は、この狛犬の姿をかえって面白がったという。

そんな感覚の持ち主であった半泥子は、いったいどんな人物であったのだろう。
半泥子の作品が常設展示されている津市の石水博物館にて、主任学芸員の龍泉寺由佳さんに解説していただきながら取材を行った。

石水博物館
▲石水博物館

龍泉寺さんに案内していただいた。

 

ーーースーツで轆轤をまわす、元銀行頭取。

半泥子は百五銀行(三重県津市)の6代目の頭取。
1931年の世界恐慌の時、半泥子は、窓口へお札を積み上げて現金が豊富にあることをアピールし、取り付け騒ぎを乗り切り、百五銀行を三重県有数の銀行に成長させた手腕の持ち主だ。

スーツで轆轤をまわす。粋。

仕事を終えて家に帰ると夜な夜な轆轤を回していたという。
また、議員としても活躍し、津市議会議員や三重県議会議員も務めた。

半泥子は、津市の豪商である川喜田家に生まれた。
生後間もなく父を亡くし、1歳で川喜田家の16代当主になった。
その時、母は10代。
その若さで未亡人となるのは不憫とされ、実家に返されたため、祖母である政(まさ)に育てられる。
半泥子の人格形成には、政の影響が大きいという。

左から3人目が祖母政、その隣りの子どもが半泥子。
▲左から3人目が祖母政、その隣りの子どもが半泥子。

“われをほむるものハあくまとおもうべし、我をそしる者ハ善知識と思うべし”

この言葉は半泥子が21歳の誕生日に、政が書き与えた「政子遺訓」の言葉だ。
豪商の跡取りとしてわがままな人間にならないように、謙虚、節制が大切であるという教えだ。
半泥子は、この遺訓を生涯の模範とし、肌身離さず持ち歩いたという。

このような背景を持つ半泥子は、なぜ陶芸を始めたのか。
そして東の魯山人、西の半泥子と称されるその作品にはどのような特長があるのだろうか。

 

ーーー「おれはろくろのまわるまま」

半泥子は55歳のときに本格的に陶芸を始めた。
当時は、より高価な、また有名な茶器を披露するかのような茶会が主流であった。
茶の湯(茶道)にハマっていた半泥子は、そのような茶会の傾向に疑問を持ち、自ら陶器を作り始めたのだった。

粉引茶碗 銘 雪の曙
▲粉引茶碗 銘 雪の曙

半泥子は生涯、一つも失敗作とせず、一つも作品を売らなかった。
たとえ作品の飲み口が平らでなかろうが、それはそれ自身が持つ魅力として作品とした。
また、従来の陶芸界の常識にとらわれなかった。
従来、茶陶の世界では作品に師匠など作者以外が銘をつける。
しかし半泥子は自身でユニークな銘をつけている。

高麗手茶碗 銘 雅茶子
▲高麗手茶碗 銘 雅茶子

この作品の銘は「雅茶子(ガチャコ)」。
名前の響きだけでもユニークでアーティスティックだが、作品の高台の部分が当時上野動物園で人気だったゾウ(花子)の足を連想させるため、花子がタイにいたときの名前(ガチャコ)を付けたという、ユニークで粋な理由だ。

伊賀水指 銘 慾袋
▲伊賀水指 銘 慾袋

こちらの銘は「慾袋(よくぶくろ)」。
旧津藩主藤堂家で同家伝来の名物「破袋(やぶれぶくろ)」がある。
半泥子の慾袋はその破袋を模した作品だ。
破袋は美の印象が強いのに対し、その慾袋は似たような形だが、どこかボテッとしている。そしてヒビが入っている。
“慾” をこのように表現するユーモアも半泥子の魅力を物語っている。

半泥子は陶芸に限らず、書や画の作品も数多く遺している。松竹梅(上から文字で書かれている木公=松、梅と器に描かれている竹)。
▲半泥子は陶芸に限らず、書や画の作品も数多く遺している。松竹梅(上から文字で書かれている木公=松、梅と器に描かれている竹)。

このような自由な作風のことを、半泥子は「おれはろくろのまわるまま」と表現している。
キズも歪みも景色とし、一瞬の間を大切にし、あとは窯の神様に任せる。
一見、自由に作品を作っているように感じるが、それだけでは「東の魯山人、西の半泥子」と称されることはなかっただろう。そこには徹底した知識があったという。
また美濃、備前、萩を代表する陶芸家と、交友を結び「からひね会」を発足。
共に作品を制作し、半泥子の芸術性に他の陶芸家は刺激を受けたという。

半泥子の芸術性には、ひとつの哲学を感じることができる。
それは最近、世界のIT企業家やベンチャー企業家も学ぶことが多い“禅” の世界ともつながっていた。

 

ーーー「半ば泥(なず)みて、半ば泥(なず)まず」

「半泥子」の号は、南禅寺の大徹禅師から授かったものだ。
この言葉の意味は「何にでも没頭し、泥んこになりながら、それでも冷静に己を見つめること」。

銀行頭取などを経験した実業家としての冷静な目線で常に自身を見つめていたからこそ、半泥子は陶芸という伝統的な世界に「自由」という新しい視点を持てたのかもしれない。
※ちなみに本名は久太夫政令(まさのり)である。

そのような半泥子が生まれ育った三重県津市。
もう少し半泥子のルーツを深掘りする。

 

———北海道の名付け親「松浦武四郎」とのつながり。

日本橋、大伝馬町。

今回の取材中に開催されていた企画展「江戸時代を歩こう!」(2017年2月5日まで)で、川喜田家旧蔵の貴重な資料が展示されていた。

川喜田家は江戸時代に木綿問屋として財を成した。
現在、三重県で木綿と言えば伊勢木綿や松阪木綿が有名だ。
江戸時代、今の日本橋に木綿商人として店を出していた伊勢商人。当時、津、松阪など出身の商人の総称が伊勢商人という名であり、伊勢商人屈指の豪商のなかに、川喜田家も入っている。
そして当時の川喜田家の当主にあたる半泥子の祖父、川喜田石水と、松浦武四郎は幼少の頃からの親友であった。(松浦武四郎について、つづきは三重での記事もチェック!)

武四郎が残した北海道の地図。
▲武四郎が残した北海道の地図。

地図

川喜田家の当主として、津の地を離れることが難しかった石水に対し、伊勢街道沿いに育った武四郎は16歳から諸国を旅し、28歳で蝦夷地(北海道)の探査に入る。
しかし、石水と武四郎の交友は途切れることなく、手紙などを通じ晩年まで続いたという。

江戸時代の津の地図
▲江戸時代の津の地図

歴史的探検家と密なつながりのある祖父石水。
脈々と一族に語り継がれてきた話や、文化的価値の高いものに囲まれて育った半泥子。
歴史ある三重県、そして津、松阪、伊勢という土地が半泥子の作風に影響していると言っても過言ではない。

※以上の写真は石水博物館で撮影しました。

ーーー半泥子に縁ある、今なお残る影響力。

創業明治22年の、東京の三田四国町に開業した東洋軒。
日本洋食文化の草分け的存在で、三代目料理長の秋山徳蔵は『天皇の料理番』としてドラマ化された。
昭和3年に半泥子のすすめにより「宮内省御用達 東京東洋軒出張所」として、三重県津市の百五銀行本店4階に開業。
その後、昭和30年に現在の場所(三重県津市丸之内29-17)に、大正時代の建物である百五銀行伊賀上野支店を移築。
それが今なお人気を誇る東洋軒だ。

写真は東洋軒ホームページより
▲写真は東洋軒ホームページより

その中でも有名なブラックカレーは、食通としても知られていた半泥子が「黒いカレーができないか」と当時の料理長である猪俣重勝(勳六等単光旭日章を授章)に持ちかけ、できたメニューだ。

 

ーーー三重というより、世界。

「半泥子さんは三重県じゃなくて、日本を代表する世界的な方ですね。あと、半泥子さんの器は、使ってみて初めて価値が分かると思います」
そう語っていただいたのは、津市の老舗和洋菓子店「とね菓子館」の会長、刀根大士さんだ。
刀根さんは半泥子やその弟子である坪島土平など地元作家の陶芸をはじめとした陶芸愛好家だ。

小法師(こぼし)。茶碗の形が斜めになっている(刀根さん所蔵)。
▲小法師(こぼし)。茶碗の形が斜めになっている(刀根さん所蔵)。

刀根さん:半泥子さんの作品の特徴は、何回観ても、使っても、飾っても飽きないことです。これが本物だと思います。しばらく半泥子さんの作品を観ていないと、また観たくなる。半泥子さんのキチンとした知識や実業家としてのご苦労があった上で、自由奔放に作品をつくる。これは今の社会のいわゆるプロフェッショナルな仕事をしている方々に欠けている部分だと思います。

仕事柄、若くからお茶会をしてきた刀根さんは「半泥子の茶器を使うとお茶会が楽しくなる。それはとても大事なことだ」と語った。

淡路の虎(半泥子が82歳の時の作品)
▲淡路の虎(半泥子が82歳の時の作品)

刀根さんが持っている半泥子の晩年の書『淡路の虎』。
自由さとユーモアさが伝わってくる作品。

仏壇

こちらは半泥子が弟子との研究や養成のために作った廣永陶苑(現・半泥子廣永窯)の泥仏堂にある、晩年の半泥子が作った仏壇だ。
扉を開けると「把和遊=How are you」「喊阿厳=Come again」と書かれており、中央には座布団に鎮座したユーモア感のある半泥子の像。

現代的アート感覚を持つ、遊び心を忘れない半泥子。

実業家として活動しながら、30,000とも50,000ともいわれている作品を遺した半泥子。

半泥子

「本物」は時代を超えて、今なお愛され続けている。

 


取材協力

公益財団法人 石水博物館
住所:三重県津市垂水3032番地18
電話:059-227-5677
ホームページ:http://www.sekisui-museum.or.jp
企画展情報:2017年2月10日から4月9日まで、企画展「川喜田半泥子の遊び心—銘の達人—」が開催されています。

とね菓子館
住所:三重県津市本町26-20
電話:0120-26-4343
ホームページ:http://www.tonekashikan.co.jp

東洋軒
住所:三重県津市丸之内29-17
電話:059-225-2882
ホームページ:http://www.touyouken.co.jp


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