北海道の名付け親・松阪出身の松浦武四郎は江戸時代のノマドワーカーだった。

2017.2.9

「つづきは三重で」市民記者

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【取材】kanzaki chiharu

1月中旬、北海道の高橋はるみ知事が三重県の鈴木英敬知事を訪問。
2018年の北海道命名150年に合わせて、三重県でも企画展が開催されることが決まった―
という新聞記事を目にしました。

ーーー北海道命名150年でなんで三重県でイベントをするの?

そんな素朴な疑問を抱えつつ、記事を読みすすめると・・・。

北海道の名付け親、松阪出身の探検家、松浦武四郎にちなんで」
という情報がサラリと書いてありました。

え? 北海道ってつけたの三重県人なの!?
そんなすごい人の名前を私、知らなかった!?
そもそも探検家って!?

と、次から次へと疑問が噴出。

というわけで、三重県松阪市小野江町にある「松浦武四郎記念館」を訪ねてみました。

北海道の名付け親松浦武四郎のふるさと松阪

近鉄「伊勢中川駅」から車で約10分(※)、こちらの看板が見えてきます。

※平日のみ伊勢中川駅東口ロータリーから、三雲地域コミュニティバス「たけちゃんハートバス」が運行。「松浦武四郎記念館」停留所下車。

松浦武四郎記念館

こちらが1994年に開館した「松浦武四郎記念館」。

松浦家から松阪市に寄贈された武四郎氏の資料を多数収蔵しており、そのうちの1505点は国の重要文化財に指定されています。年間来場者数は約12,000人。

たけちゃん

館内に入ると、武四郎まつりマスコットキャラクター「たけちゃん」がお出迎え。
そのすぐ横には「アイヌ民族の衣装を着てみませんか」の貼り紙が。

アイヌ民俗の衣装を着てみませんか  アイヌ民俗の衣装

武四郎まつりって!?
アイヌ民族の衣装がなぜここに!? 本物!?

と、増え続ける疑問をどうしてくれようかと思っているところに主任学芸員の山本命(めい)さんが登場!

主任学芸員の山本命さん「武四郎のことなら何でも聞いてください!」
▲主任学芸員の山本命さん「武四郎のことなら何でも聞いてください!」

さっそく山本さんに疑問をぶつけてみました。

ー北海道の名付け親が松阪出身の方というのは、三重県人なら知っていて当たり前なんでしょうか?

山本さん:いえ、かなり歴史に詳しい人じゃないとご存じないと思います。松浦武四郎は伊賀の松尾芭蕉、松阪の本居宣長とともに、三重県が生んだ歴史的偉人のひとりなのですが、彼が松阪にいたのは16歳まで。それ以降は全国各地を旅していて、晩年は71歳で亡くなるまで江戸を拠点としていたので、松阪で何かをしたというわけじゃないですし、地元の人でも彼の功績を知らない人はまだまだ多いと思います。この記念館ができたのが23年前ですから、それくらいから少しずつ知名度をあげてきた感じですね。

ー学校の授業で教えたりはしていないのですか?

山本さん:2015年度から松阪市教育委員会が「郷土の偉人に学ぶ教育」を推進していまして、市内の各小学校において『郷土の偉人を知る』冊子(写真)を副教材として使用しています。松浦武四郎については5年生で学習します。これから未来を担う子供たちに、地元出身の偉人を知ってもらい、自分の生まれ育った地域に親しみと誇りを持ってほしいですし、武四郎の生き方からいろなことを学んでほしいです。

教材

ーーーここであらためて「松浦武四郎」とは・・・

■松浦武四郎(まつうらたけしろう)/江戸時代末期から明治にかけて活躍した探検家。

【略歴】

1818年:三重県松阪市小野江町(旧一志郡三雲町小野江)にて、松浦家の第四子として生まれる。

幼少期:伊勢街道沿いに生家があったため、幼い頃からお伊勢参りをする旅人に触れて育つ。

13歳~16歳:津藩の学者・平松楽斎の私塾に通う。

17歳~26歳:日本全国をめぐる旅に出る。

28歳~41歳:蝦夷地(北海道)の探査(6回)。アイヌ民族と深い交流。

51歳:政府で開拓使の判官として蝦夷地にかわる道名、国名、郡名とその境界の撰定に携わる。

68~70歳:大台ケ原の探査(3回)。

70歳:富士山登頂。

1888年:71歳にて亡くなる。

展示

どうやら51歳のときに、明治政府の開拓判官として「北海道」という名称の撰定や、郡の名称の名付けに携わったことが「北海道の名付け親」のゆえんのようです。
そして、当時未開の地だった蝦夷地の6度に渡る探査の成功の裏には、そこに古くから住んでいたアイヌ民族との深い交流がありました。

展示

こちらは記念館のロビー床に広がる「東西蝦夷山川地理取調図」。
1859年に武四郎が出版したもので26枚のパーツ(冊子)で北海道全体が内陸まで詳細に表記されています。

アイヌの地名や川の名前が細かく表記されている点でも、武四郎とアイヌ民族との交流の深さがうかがえます。

細かい表記

ちなみに北海道には松浦武四郎の銅像や記念碑が約60カ所、それも一部の地域ではなく道内各地に建てられていますが、三重県にはほんのわずかしかないそうです。
武四郎の知名度は三重県よりも北海道で高いことが分かります。

ーーー本物のアイヌ民族衣装が着られるレア施設

プロフィールを見るだけでも、気になる情報が山盛りな武四郎ですが、まずは館内に入ってすぐ目に飛び込んでくるアイヌ民族衣装の謎に迫ります。

山本さん:ぜひ着てみてください。民族衣装は神事や祭りで使うものですから、北海道でも本物はなかなかお目にかかれないと思います。展示してあるところはあるかもしれませんが、袖を通して着られるのはとても貴重なことなんですよ。

本物の衣装

なんと、こちらの民族衣装はレプリカではなく「本物」。
アイヌの人たちが現在、実際に使っているものだそうです。
しっかりとした木綿にアイヌ文様の手刺繍が施されており、色の組み合わせも非常におしゃれ。

山本さん:武四郎を語るうえでアイヌ民族の存在は欠かせません。電車も車もなかった時代に、北海道という広大な地を武四郎がくまなく探査できたのはアイヌの人々の協力があったからこそ。武四郎はアイヌの人々と寝食を共にし、アイヌ独自の文化を尊重し、守ることにも尽力しました。そういうつながりがあって、本物の民族衣装を展示しています。しかも生地には「松阪木綿」が使用されているんですよ。

アイヌ文様の刺繍。渦巻模様と括弧のような文様の組み合わせで、さまざまな幾何学模様を描くのが特徴。
▲アイヌ文様の刺繍。渦巻模様と括弧のような文様の組み合わせで、さまざまな幾何学模様を描くのが特徴。

ーーー遠く北海道のアイヌ民族の皆さんに愛される松阪の木綿!!

刺繍を施しても崩れない丈夫な松阪木綿はアイヌの民族衣装に適しているそうで、現在ではアイヌの皆さんから反物の注文があるそうです。

松阪木綿の反物(松阪もめん手織りセンター)
▲松阪木綿の反物(松阪もめん手織りセンター)

【豆知識:松阪木綿とは】

三重県指定伝統工芸品。室町時代には綿の栽培が普及し、木綿織りが盛んだった松阪市で、古来より伝わる紡績技術とあいまって生まれた松阪木綿。暖かく丈夫な木綿は江戸時代に衣料革命を引き起こし、いち早く江戸に進出した伊勢商人の手で売り広められ、大流行。特徴は藍色の糸をベースにしたバリエーション豊かな縞模様。一見地味なようでいて、よく見れば繊細ですっきりとした縞模様は粋を誇りとした江戸庶民に好まれました。ちなみに「松阪縞」のルーツは現在のベトナムの中央部、ホイアンあたりで織られていた「柳条布」です。


 

江戸時代に武四郎を通じてつながった松阪と北海道の縁が今もこんな形で続いているとは・・・。
ロマンですね・・・なんて思いつつ、私もアイヌ民族衣装に袖を通してみました。

羽織るととても暖かく、防寒要素も感じられます。
何より北海道でもできない貴重な体験をしていると思うとテンションが上がります。
本物のアイヌ民族衣装を着て記念撮影ができるなんて、意外な「SNS映えスポット」ですね。
記念撮影必須です。

モデル:松阪市経営企画部 情報企画課 鈴木智絵さん。
▲モデル:松阪市経営企画部 情報企画課 鈴木智絵さん。

ーーー山本さんの武四郎愛あふれる館内案内

さて、ここからは松阪市役所の鈴木智絵さんと一緒に、山本さんに館内を案内していただきました。
私の素朴な質問にイキイキと答えてくれる山本さんの武四郎愛にあふれた表情にもご注目ください。

ー武四郎はなぜ全国を旅していたの?

山本さん:武四郎という名前からも分かる通り、彼は4番目に生まれた子どもで、いつかは実家から出ていかないといけない身。「生きる目的を探すため」というのがひとつ、そして伊勢街道沿いに生家があったことで幼少期から全国の旅人に触れ、御国自慢を聞いて育ったこともあり「自分の目で外の世界を見てみたい」という思いが強かったことが考えられます。

山本さんに説明していただきました。

ー旅の資金は? 探検家って仕事になるの?

山本さん:探検家というと、放浪していた人のように思われがちですが、実は彼は「旅先で収入を得る術」があったんです。篆刻(てんこく)といって、石や木などに文字を彫りハンコをつくる技術を身につけていて、旅先で資金に困ると、書や絵を描くような裕福な家を訪ねて注文を受けハンコを作成し、資金を工面していたようです。当時、ハンコを作る職人がそうそうやってくるわけではありませんから、わざわざ訪ねてきてくれる篆刻家は重宝されたと思います。自分の腕と彫る素材さえあれば、どこでもできる仕事であり、むしろ旅の中でもお金を稼ぐことができる方法をちゃんと考えていたんですね。

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ー「お伊勢参り」ネットワークをフル活用?

山本さん:武四郎の生まれ故郷である松阪市小野江町は伊勢街道沿いの宿場町でした。街道沿いの人々は、伊勢神宮に参拝する旅人の食事や宿の世話をする「施行(せぎょう)」という習わしがあり、武四郎の実家でも旅人のお世話をしたそうです。当時、日本の人口が3千万人と推定される時代に、年間約500万人もの人々がお伊勢参りにやってきたということは、全国各地におもてなしを受けた人がいたわけです。ですから、武四郎が全国を旅するにあたって伊勢国の出身と言うと、宿や食事の提供をしてくれる人も少なくなく、これも武四郎が全国を巡ることができたひとつの要因だと考えられます。また、武四郎は全国各地でお伊勢参りをする人に手紙を託し、実家へ届けてもらっています。伊勢街道を通る旅人は必ず武四郎の実家の前を通りますし、手紙を届けてくれた旅人を松浦家では大切にもてなしました。

武四郎が17歳~26歳まで9年もの間、旅を続けて来られたのはこんな背景もあったのです。

松阪市指定史跡「松浦武四郎誕生地」は生誕200年を迎える平成30年2月に一般公開を予定。
▲松阪市指定史跡「松浦武四郎誕生地」は生誕200年を迎える平成30年2月に一般公開を予定。

 

すごい! 武四郎!!
プロフィールだけをさらっと読んだときは、型破りな自由人!
という印象でしたが、山本さんの解説を聞けば聞くほど、前衛的でクレバー。

仕事の場所にしばられず、むしろ旅をしながらお金を生み出し、お伊勢参りネットワークを活用して、全国各地の人々と交流し、情報収集・・・。

まさに江戸時代のノマドワーカー!

ネットのない時代に自分の体ひとつでこれをやり遂げているのがすごい。

ーなぜ蝦夷地の調査を始めたの?

山本さん:若い頃から仏教に関心のあった武四郎の目は、さらに外の世界へ向き、中国、インドをめざしました。ですが、江戸時代の鎖国制度により渡航を断念せざるをえず、外国との貿易が盛んだった長崎に滞在していたんです。そのときに「ロシアが蝦夷地に勢力を伸ばそうとしている」という情報を耳にします。そこで「蝦夷地」の情報の無さを痛感するわけです。蝦夷地を調査し、その様子を多くの人に伝えることが、ロシアからの支配を免れること=国を守ることになる、と考えた武四郎は、ここで自分の使命を見つけ、一旦郷里に戻り、再び旅に出て28歳から「蝦夷地の調査」を始めます。

説明

ーえええ!? 仕事ではなく個人的に調査していたんですか!?

山本さん:そうなんです。蝦夷地調査のうち最初の3回は個人として調査しています。その功績が評判になり、幕府役人から調査任務を与えられ、後半3回の調査をしたんです。蝦夷地の調査結果を世に伝えるために、地誌学者、地図製作者、出版者(編集者、イラストレーター、デザイナー)、ルポタージュ作家などなど、武四郎は探検家の域を超えてさまざまな顔を見せています。

説明

なるほど、調査結果をあらゆる形でまとめて印刷物として世に出し、その収入でまた調査をするというサイクルを確立していたんですね。
調査も大変ですが、それを記録として整理して一般の人が見やすい形で提供していることも、武四郎のすごさ。

そんな活動の中で明治政府の役人となり、開拓使として「北海道の名付け親」となるわけです(でも政府のアイヌ文化弾圧などに反発して政府を半年ほどで辞職しているのもまたすごい)。

ーーー「ホッカイドウ」=「北にあるアイヌの人々が暮らす大地」

武四郎が提案した蝦夷地の新たな名称は「北加伊道」でした。
「加伊(カイ)」にはアイヌの言葉で「この大地に生まれたもの」という意味があり、武四郎は「北にあるアイヌの人々が暮らす大地」という思いを込めてこの名前を提案したそうです。
これが採用され、最終的に明治政府が「北海道」と字をあてますが、2018年には命名150周年を迎えるというわけです。

たけちゃんと山本さん

だいぶ端折りましたが(実際、山本さんはまだまだ武四郎トークの真っ最中)、2018年に三重県と北海道で武四郎の生誕200年と、北海道150年を記念したイベントが開催される謎がお分かりいただけたでしょうか。
各種イベントのほか、武四郎の実家「松浦武四郎誕生地」の一般公開なども予定されており、三重県が生んだ偉人を通して、松阪が注目を集めそうな予感。

視野を広く持ち、多文化を受け入れ、時代の先を見据え、自分の信念を貫いた武四郎の生き様は、知れば知るほど面白く、一世紀以上の時を超えて今もなお松阪と北海道をつないでいるという感動。

「こんなすごい人がいたんだ!!」

取材の後、会う人、会う人に武四郎のことを話している私がいました。

ーーー松阪文化を知る補足情報(1)第22回「武四郎まつり」は2月26日開催!

武四郎まつり

同記念館では、松浦武四郎の功績や武四郎とゆかりの深いアイヌ民族の文化の周知を目的に、武四郎の生没月にあたる毎年2月の最後の日曜日に「武四郎まつり」を開催。今年で22回目を迎えるイベントで、武四郎の生涯とその功績をさまざまな資料から紹介する展示(まつり当日は記念館への入館は無料)やアイヌ民族伝統の踊りの披露、北海道の物産販売、マスコットキャラクター「たけちゃん」とのジャンケン大会など、数々の催しが楽しめます。

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■松浦武四郎記念館

松浦武四郎記念館

住 所 三重県松阪市小野江町383番地

電 話  0598-56-6847

入館料 一般310円、6歳以上18歳以下200円

開館時間 9:30~16:30

休館日 毎週月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、祝日の翌日(土日の場合は開館)、年末年始。

松浦武四郎記念館トップ(松阪市ウェブサイト)

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―――松阪文化を知る補足情報(2)松阪もめん手織りセンター

島渡りと呼ばれる粋な縞模様と藍染が特徴の松阪木綿を広く普及させようという目的で1984年に開設された「松阪もめん手織りセンター」。6台の体験用機織り機があり、機織り体験も可能。松阪木綿の反物はもちろん、スマホカバーや財布、カバンなど松阪木綿を使った小物も豊富にそろいます。

松阪木綿 松阪木綿

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■松阪もめん手織りセンター

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住 所 三重県松阪市本町2176 松阪市産業振興センター1階

電 話 0598-26-6355

HP http://matsusakamomen.com/

営業時間 9:00~17:00

定休日 火曜日

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